82年ニューデリーアジア競技大会−銅メダル獲得−
1982年11月19日〜12月4日 会場:インド・ニューデリー

韓国に1点差、中国に9点差…。

第9回アジア大会はインド・ニューデリーにおいて男子13カ国、女子5カ国が参加して行われ、日本男子チームは韓国に1点差、中国に9点差で敗れて3位となった。 優勝こそ逃したが、中韓と対等に渡り合った最後のアジア大会といえよう。

決勝リーグ第1戦 日本−中国
この大会でも岡山&北原のビッグセンターが軸の日本。一方の中国は、それまでインサイドの要であった穆鉄柱(225cm)と馬占福(216cm)を外し、センター中心のチームから走れるチームへと変貌を遂げていた。正確なシュート力のある選手を揃えた中国はチームFG成功率(中国59%、日本48%)で日本を大きく上回り、前半を14点差で折り返す。 後半に入ると日本も北原がローポストから得点を重ねて追い上げたが、一歩及ばず。逆転には至らなかった。
決勝リーグ第2戦 日本−韓国
中国に敗れた日本はこの試合を落とすことは許されない。日本はゴール下でしっかりとポジションを取りリバウンドを重視しつつ、韓国の天才シューター李への対策として池内泰明をスターターで起用した。 (李は高麗大学時代にナショナルチーム入りし、この前年に行われたカルカッタABCでは日本戦で野投成功率85%、FT成功率100%という驚異的な記録を残している。) 試合は開始から拮抗した展開が続き、韓国が5点をリードして前半を終える。 後半は日本が良い流れを掴んで一時はリードを奪ったが、岡山が5ファウルで退場すると反撃もここまで。一点差で涙をのむ結果となった。

中国戦、韓国戦ともインサイドでは引けを取らなかった日本。 しかしながら外からのシュート決定率が最後まで上がらず、それが紙一重の試合を落とす要因になったようだ。 60年代、70年代の日本には谷口や千種といった国際的なシューターがいたが、 この頃の日本でシュート力があるのは高木寛治ぐらいで、 高木が途中出場すると相手ディフェンスはゾーンからマンツーマンに切り替えて厳しいプレッシャーをかけ続けた。
試合後、監督の清水義明はシューター不足を嘆いた。


決勝リーグ星取表 ※は予選リーグで対戦済み
   
韓国
中国
日本
フィリピン
北朝鮮
クウェート
マレーシア
インド
韓国
 
○ 85
○ 91
○ 132
○ 92
○ ※
○ 94
○ 97
中国
● 84
 
○ 98
○ 121
○ ※
○ 94
○ 104
○ 120
日本
● 90
● 89
 
○ 109
○ 90
○ 79
○ ※
○ 82
フィリピン
● 99
● 86
● 91
 
○ 82
○ 80
● 70
○ ※
北朝鮮
● 84
● ※
● 79
● 77
 
○ 86
○ 81
○ 78
クウェート
● ※
● 58
● 54
● 78
● 81
 
○ 72
○ 73
マレーシア
● 66
● 49
● ※
○ 84
● 66
● 45
 
○ 78
インド
● 88
● 94
● 74
● ※
● 65
● 61
● 72
 


11月26日 決勝リーグ第1戦
中国 98−89 日本(49−35、49−54)
日本代表
PTS
FT
PF
REBS
AST
BLK
Min
北原憲彦
32
38
岡山恭崇
22
30
三神雅明
15
加藤伸樹
17
馬場敏春
熊谷勝成
10
小野秀二
15
11
中島康行
11
12
高木寛治
13
大塚弘之
14
瀬戸孝幸
28
15
池内泰明
21
 
11月27日 決勝リーグ第2戦
韓国 91−90 日本(43−48、48−42)
日本代表
PTS
FT
PF
REBS
AST
BLK
Min
北原憲彦
31
37
岡山恭崇
20
29
三神雅明
29
加藤伸樹
11
31
馬場敏春
熊谷勝成
10
小野秀二
21
11
中島康行
12
高木寛治
13
大塚弘之
14
瀬戸孝幸
15
池内泰明
16
40




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